もう30年も前になるのか。。。

小学校時代に思い出されることと言えば、スポ少の野球のこと。

それ以外のことは思い出すことがないくらい、野球ばかりの記憶が残っている。

自分でやりたいと思ったよりは、親に勧められて入った部活。

キャプテン翼に憧れて、サッカーをやりたかったのに、親に反対されて野球をすることになったはず。

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小学3年生で入部すると、みんな「黒帽子」と呼ぶ黒いキャップをかぶり、スパイクはなし。上手になれば「白帽子」と「スパイク」に昇格できる。「黒帽子」は、別メニュー。先輩やレギュラー陣より、早く終わって帰る。「象潟スポーツ少年団、山岡薫、ありがとうございました〜〜〜」と校内の神社の境内から、大声で挨拶して、明るいうちに帰った。同じ学年でも、順番に昇格していく中、私は、比較的早めに「白帽子」になれた気がするが、「黒帽子」の記憶が鮮明に残っている。初めから平等ではない世界を知った。

1年のうち364日は、練習だったと思う。休みは基本的にはなし。夜遅くまで、グランドにライトをつけて、ティーバッティングをしていた。砂だらけのユニフォームのまま、家に帰ったら、風呂に入って、夕飯食べて寝る。そんな毎日だったけど、とても充実していた。忙しいなんて感じたことはなかった。今も、休みがなくても平気なのはその時から変わらない。学校の宿題をする時間なんてなかったと思うけど、5年生からは塾にも言っていたから、休みはあったかな。小学校3年から6年までの4年間は、私の人生の中で一番長い年月に感じている。

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練習は厳しかった。その中でも、基礎体力作りは根性のない私にとって、一番辛かった。タイヤ引き、持久走、リレー、腹筋・背筋、腕立て、、冬場は室内で、通称「うさぎ」「ムカデ」「かめ」「手押し車」瞬発力を活かせるものは、比較的得意だったが、特に持久力を必要とする、うつ伏せで手足を宙に浮かせる「スーパーマン」や仰向けで足を浮かせてキープする「足上げ」は非常に苦手だった。しかも、数分じゃなく、何十分単位。足や手を床に下ろそうものなら、竹刀が地を這ってくる。地獄だったが、指導者が見ていない時に、つかの間の手を抜く術を身につけた。もちろんバレていたに違いない。あの時、あれだけの特訓をしたことで、心の強さと丈夫な体を少しだけ手に入れることができた。

練習で楽しい時間もたくさんあった。基礎体力作りをしながらのチームに分けたリレーでは、勝てば飴っこがもらえた。負けたら片付け。バスケコート一面しかない、小さな体育館全体を使う「ドッチボール」と「サッカー」は、ボールが3個。サッカーは、バスケのゴールに当たれば、5点。リングに当たれば10点、リングには入れば「コールド勝ち」。偶然にも一度、リングに入ったこともあった。部活が始まる前に、いつもバスケのリングに当てる練習をしていた。ボール3つのドッチボールは、あらゆる方向から野球部員の豪速球が飛んでくる。一つ避けても、すぐに当てられる。冬の体育館練習は、特に楽しかった。レベルの高いものにチャレンジすることで、負けてもへこたれない精神を養ってくれたように感じる。

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先輩たちが中学に進学しても、部活に顔を出してくれるのが嬉しかった。先輩は背が高くて、全然敵わない存在。頼れる先輩たちに相手をしてもらい、兄や姉のいない、気持ちの小さい私にとって、部活の先輩は甘えたい存在だった。自分も先輩になった時、後輩や年下に優しい気持ちになれるのは、自分がしてもらった経験が大きいと感じる。

そんな私も、6年生になり最上級生となった。厳しい練習を重ね、作りあげられたチームは、ものすごく強かった。多くの大会で、ほとんど優勝。メダルもたくさんいただきました。地区予選を勝ち抜き、全日本学童軟式野球大会の秋田県大会に出場。惜しくも決勝で敗れ、準優勝となるも、東北大会で、優勝し、全国大会に出場。壮行会を受け、バスで旧川崎球場に向かい、ナイターで開会式に参加した思い出は一生の宝物です。1回戦で負けて、みんなで泣いたけど、負けた気がしなかった。スポーツと言う勝負の世界で、勝ち続けることの大変さ、大切さもわかっているつもりだが、あれだけ準備して臨むことで、すでに完了しており、勝ち負けの次元で考えなくていいのだと悟った。

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中学校、高校、大学、そして社会人となって、未だに小学校時代の野球で育んだ、思考と行動が影響を受けている。先日紹介してもらって読んだ「君たちは偉大だ」にも、小学校時代に形成された人格は、成人しても続いていくのだそうだ。なるほどなと感じた。結果として、小学校時代の野球部時代に得たものは、今でも私の財産となり、職業や経営者としての考え方も多大な影響を受けている。

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そんな小学校のほとんどの思い出を作ってくれた野球ですが、その監督であり、私の今の職業を勧めてくれた恩人「たぬき」が、他界しました。

多くの子どもたちを育て、影響を与え続けた「たぬき」は、私の子どもが小学生の今だからこそ、そんな大人になりたいと見本となっている。厳しくも、暖かく、鋭い眼で、子どもたちの心の奥を覗き込み、真剣に向き合って、指導してくれた。1年中休まず、練習に参加し、部員一人ひとりをニックネームで呼んで、親密に付き合ってくれた。今でもその声が心に残っている。本気だからこそ、厳しい時もあった。怖くても、私も目を背けなかった。球が怖くて向き合わず、顔を背け一歩遅れると、余計に勢いを増した球が自分にぶつかってくる。相手が本気だからこそ、相手が伝えようとしていることを感じようとした。

 

大人になって、少しでも「たぬき」に近づけたのだろうか。そんな大人に私はなれているだろうか。

 

30年前から変わらず、今でも「気の小さい薫ちゃん」は、「たぬき」の教えに忠実に、毎日を生きています。