当院は、診療以外の業務が多くあります。

もちろん、とても大切な業務であり、なくてはならないものです。

ところが、一部のスタッフが、労力の多さに不満を抱くようになりました。

そんなことは少なからず、どこにでもあることです。

しかし、放っておくことはできないたちで、

診療への影響や院内の雰囲気に異変を感じたため、すべてのクリエイティブ業務を中止することとしました。

そして、2ヶ月。

始めは、特に中止したことへの影響は感じませんでしたが、徐々に変化を感じ、表面化するようになりました。

影響は少ないだろうと思っていた、診療にまで変化を与えるようになりました。

簡単に表現すると「機械的に診療をこなすだけの、ロボットのような業務」になったのです。

たった、2ヶ月です。

そこで、全体MTGで、私が分析し、まとめた内容を伝えることとしました。

それが、「考える」ということ。

何かを生み出すことも、もちろん大切ですが、まずは「考える」こと。

その大切さを伝える内容にまとめました。

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はじめに、クリステンセン教授の著書「イノベーション・オブ・ライフ」。

私が印象的だったのは、自らの体験と共に、子育てに対する考え方に、テセウスの船というパラドックスを引用したこと。

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自分の子供でありながら、習い事、部活動、そして、受験など、子供が学びたいと願った瞬間には、そばにいるのは、親ではなく、他人。他人の考え方がインプットされる機会が多く、それは、自分の子供と言えるのか。いずれ、子供は親の手を離れ、自立していきます。親として、子供に関わる機会が少なければ少ないほど、親の考える子供像とはかけ離れていきます。気づいた時には、テセウスの船ではなくなっているのです。他人任せ、他人に責任を負わせるのではなく、自分で考え、自分で子育てする必要性を感じました。

当院には、コンサルタントが関わっています。院長自らが、自分のスタッフをコンサルタント任せにしたり、あるいは、特定のセミナー参加だけに頼っていては、もはや自分のスタッフとは言えないのかもしれません。経営者としても、考えさせられる内容です。

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また、過去の経験や学びでしか判断できないことにより、未来にチャレンジできない人が多いとも伝えています。親が自分のチャレンジできなかったことを子供に押し付けたり、または、新しいことにチャレンジできないスタッフの考え方は、ここに尽きるのかもしれません。すぐに「キャパオーバー」などと、自分の限界を決めてしまうことにより、新しいことを拒否することを正当化していまいます。

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次に、渋沢健さんの講演会から学んだ「論語と算盤」から、ヒントをいただきました。

一見相反するように思えるものに対し、両面を得る方法を考えること。まさに、当院における「日々の診療」と「クリエイティブ業務」とも言えます。「日々の診療」だけでも、毎日は過ぎていきます。毎日が忙しいから、他のことができないと考えるのでしょう。「仕事」が忙しいから「プライベート」が充実できない。「仕事」があるから「子育て」ができない。同じ理屈です。

「論語(道徳)と算盤」も相反するものと捉えがちですが、どちらも大切。しかしこれを、どちらかという「か」で比較し、分けてしまうことで、それ以上考えたり、折り合いをつけることをしなくなります。「か」で分けてしまえば、簡単だし、意見も強くなります。しかし、「と」とすることで、思考が生まれ、創造性が育まれます。

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身の回りには、いろんな「と」があります。真逆にあるものほど、よく考え、互いに交わる解決策を生み出したいものです。

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中休みに、映画「ドリーム」からの引用。友人宇宙飛行を目指す、NASAの物語。

人種差別の色濃く残る時代に、管理職、技術職、専門職を目指す3名の黒人女性の生き様から学ぶことができます。

難しい問題に対して、しっかりと向き合い考えること。そして、困難な現実に、行動を起こすこと。

まさに、現代の働き方改革、イクボス、女性活躍推進など、個人が課題に向き合う姿が共感できます。

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時間がないからできないなんて単純な理由だけで、考えることをしなくなる。このままでは、本当にマミートラックに乗ってしまい、自分の人生も自分で決められなくなってしまいます。もちろん、スタッフの人生ですから、自分で選択することになります。ここまで、経営者が関わる必要もないのかもしれません。でも、もし少しでも良い方向へ導くチャンスがあるのであれば、関わりたいと願っています。

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家族を守る男性の姿は、とても共感できます。私も一人の夫として、父として、家族をも守ろうと考えています。でも、最終的には、自分の都合だけで、家族の将来を本当に考えられているのか、常に自分に問いかけなくてはいけません。過去の親のやってきたことを真似しているだけでは、いけないのではないでしょうか。デービッドブルーム教授が提唱する「人口ボーナス期・オーナス期」では、今はすでにオーナス期。仕事は夫まかせでは、成り立たないことを自覚し、考え行動しなくてはいけません。

 

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そして、最後は、アンナ・ハーレントの「全体主義の起源」からの引用。まさに「考える」大切さを説いています。

現代の私たちは、普段深く考えることをしなくても、生活できます。仕事だって、子育てだって、意外と日々の流れに身を任せ、テレビで他人の言うことを真実だと思い込み、インターネットで自分の考えに近い情報を、自分で考えたことにして、意見として持ったり、それに安心しています。考えることをせず、みんながそうだからと大部分の意見を正しいと判断することが、どれだけ危険があるのか、いや、それすら考えることもしません。

冒頭の「イノベーション・オブ・ライフ」でも、ハーバードビジネススクール卒の同級生が、犯罪を犯してしまったことについても、まとめてありました。優秀だから、犯罪者にならないわけではなく、考えることをやめたことにより、過去の経験だけで判断し、未来を創造し、築くことができなくなることがあります。アイヒマン裁判から、アンナ・ハーレントは、アイヒマンを「陳腐で凡庸な悪」と表現したように、私たち誰しもが、考えることをしなくなった時、「人間性」を失う可能性があります。それを職場に置き換えると、仕事観も失い、自分が何のために働いているかも考えることをせず、相手に不利益になっていることにも気づかず、淡々とこなす仕事に成り替わるのことに近いのかもしれません。そして、周囲も同じようになることで、大衆化を生み出し、考えることを怠り、感情だけで反応している恐ろしい状況になるのでしょう。

今回まとめてみて、自分が一番「考える」ことを見つめることができました。それと同時に、「考える」ことを職場の仕組みに取り入れることが、やはり大切だとわかりました。

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